暗がりで本を読む

ここのところ、本屋に立ち寄るともう一生出られないんじゃないかと思うくらい
本棚の前から動けなくなる。

本はあっという間に増えるので、近年は専ら図書館を利用してきたが
図書館と本屋は全く別物ではないかと感じてきた。

図書館は、無料で書籍を借りられるという素晴らしき公共施設であるが
人気の本は100人待ちなど当たり前で、数か月お預けをくらうことも珍しくない。

そこまでの人気はなくとも、一か月待つくらいは日常茶飯事。
それでも蔵書があればラッキーで、検索に引っかからないものも多々ある。

最近は、小説やエッセイだけではなく、短歌や俳句などにも興味があり
乱読に拍車がかかっている。

図書館になければ本屋、そしてアマゾンやメルカリ・・と探し回る日々である。

一時期はkindleに随分お世話になった。
読みたいときにすぐにダウンロードして読みだせる、私的にはドラえもんのどこでもドアに
匹敵する文明の利器(この言葉も死語だね)。

けれど、やっぱり電子書籍は味気ない。
文字を拡大できるメリットは老眼の身にはなんともありがたいが
それを差し引いたとしても、やはり、ページをめくるあの快感には劣るのだ。

本を読むことが好きだが、それ以前に本が好きなのだ。
表紙の印象や分厚さ、読み進めるに従って湧き上がる達成感みたいな感覚。
全て電子では味わえない、独特の質感。

引っ越しで本も断捨離したが、又増えつつある。
先日、「マイベスト本棚」を作ってみた。
本棚の一番目につく一段に、最もお気に入りを並べたのだ。

並べてみて感じたのは、まだまだ手加減している・・ということ。
まだまだ自分らしさが出ていない。どこかに遠慮や躊躇のようなものが感じ取れる。

それはもしかして、長く図書館利用を続けてきたことに関係しているのかも。
図書館には先に挙げたような制限とか不自由さがどうしてもある。

読書の思考がどうしてもその影響を受けている、と感じてしまう。

図書館ではなく、本屋の影響を受けるとどうだろう。
今日発売された新刊から、図書館には蔵書されないマニアック本まで
生簀から大海に泳ぎ出るような視界の広がりが想像できる。

大海原過ぎて、どっちへ行ったらいいのか、又、誰とも会えないくらいに
遠くに行きすぎてしまうんじゃないかという恐怖は感じるものの
想像を超えた一冊の本との出会いに走り出す気持ちが止められないでいる。

それもこれも、大きな書店が徒歩2分という近距離にあるという環境を手に入れたことが
一つの要因。
スーパーの帰りに2時間、休日に3時間と、本屋での滞在時間が日増しに増えていく日々である。

一番最近、購入したのは、「暗がりで本を読む」徳永圭子著、書店勤務の著者。
・・・小さな嘘でごまかしてなんとなく大人になった頃、重ねた嘘の裏付けが欲しくて
読書は始まったように思う。始まる動機は何につけ不純で、いつもどこかに隠しては漏れる・・・

前書きからして、素敵。
現在、数冊を併読中。

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