西洋占星術 古典メソッド

先日、眼科で
「乱視も近視もなく、よく見えている珍しい目です」
と言われたことが心に残っています。

今まで眼科というところに行ったことがなかったのも
目のトラブルが何もなかったから・・

でも、ということは・・
他の人には、私が見えているようには見えていないということなのか・・
と改めて気が付きました。

何事も、人は見たいようにものをみる
つまり、自分の価値観フィルターを通してものを見ていると
言われますが、
実際に、目の状態によって、見えているもの自体が違うのだな・・と。

見方を変えれば別物にも見えるのかもしれない・・
そんなことを考えてしまいました。

今、西洋占星術で古典のメソッドに興味をもって勉強しています。
古典でホロスコープを読むと、モダンとは違う視点が出てきて
なかなかに気付きが多いのです。

モダン占星術は、ポジティブにホロスコープを解釈します。
吉凶ではなく、ハードも伸びしろとしてその人の成長の課題として捉えていきます。

でも、人生には自分の努力ではどうにもならないことが存在します。
その点、モダンでは、これらを東洋の占術に頼っていると思います。

あくまでも、ホロスコープは成長のためのポジティブなツールとして
考えられているのです。

しかし、これはあくまでも私の肌感ですが
最近、それに疲れを感じている人たちも増えてきているのかな、と。

私が以前から古典メソッドに興味をもっていながらも
なかなか本格的に勉強してこなかったのも
何となく時流に沿っていなかったからで
やりだした今は、その流れが来ている証拠であるように思うのです。

確かに、古典メソッドでホロスコープを読んでみると
どこかしらほっとする気がします。

古典では7つの天体を使いますが
7人7様の動き方や、互いの関係性みたいなものが手に取るように見えて
おもしろさもあります。
アスペクトも使いますが、それは目に見える動きとして捉えますから
表面的には仲良くしているけれども、内心では苦手と感じている・・
ということがディグニティでわかるのです。

実に、人間的なとらえ方ができるのが古典メソッドの魅力です。

そして、ホロスコープを牽引していっているのがどの天体かということも
わかりますし、
力を持っているのに環境が良くない「能あるたかが爪隠す」状態とか
裏番張っている金星とか・・

実にリアルに、生き生きと天体間の実態がわかってきます。
どの天体を動かしていけば、他を動かせるのかということなども
はっきり見えてくるのも面白いです。

今月から、古典で読むホロスコープのセッションを始めています。
自分のホロスコープはだいたい読める、程度の知識をお持ちの方には
楽しんでいただけるかと思います。

https://ws.formzu.net/fgen/S166420989/