雨の日に

先日の話です。

仕事で、行ったことがない場所へ車で人を迎えに行かなくてはいけなくなった。
カーナビを頼りに何とかたどり着けたものの
けっこう複雑な場所で、停止線などもわかりにくく
ここに止まっていいのか、えっこれは? ・・とあたふたしながらの運転。

自分としては、かなり緊張して心臓バクバクの状態だったが
ピックアップした人からは
「全然慌ててるように見えない」「落ち着いてた」
とのこと。

うーん・・
心中は伝わらないのね・・と。

私は若いころからこんな感じで、自分が焦ってパニくっていても
表には出ていないらしい。
それって、いいのか悪いのか・・・

弱みを人に見せたくない、という人がいるが
私はそんなふうには考えなくて、自然にふるまっているつもりだが
そういう無防備さを疑う人もいる。

占いをする側になってはや16年。
たまに、自分の悩みはどう解決しているのか、と聞かれる。

考えてみると、確かに最近は人に相談するということはあまりなく
せいぜいぼやきを誰かに聞いてもらう程度かもしれない。
悩みがないかと言えばそんなことはないのだが
若いころのような悩みとは毛色が違って
どうしようもないことが多いからかもしれない。

加齢による悩み・・とでも言おうか。
今の時代についていけない感、取り残され感とか・・
自分でも言語化が難しいことを人に話すことはもっと難しい・・
そんな悩みなのである。

だから、人からは自信満々で生きているように見えてしまうのかもしれない。

こういうのは、幼少期から引き続きのものだろう。
私の両親は、私が少しでも弱音を吐くと厳しかった。
体調が悪くてもぎりぎりまで我慢するのが当たり前だったし
嫌なことがあっても平気を装うのが常だった。

困っている、嫌な気持ちだ、悲しい・・
などが全く出せない、出すと厳しく当たられることがずっと続いていた。

だからいつしか、何があっても平気を装う癖がついたと思っている。
辛いのに平気を装うのは大変なので、心を閉ざして鈍感になることも覚えていった。

それがいいのかはわからない。
今ではそうとしか生きられなくなってしまったし、
いろんなことに感情的にならないのは楽ではある。

こういう生き方は、占い師という仕事には向いていると思う。
人の悩みにいちいち感情移入していてはやっていけないし
冷静なアドバイスもできないであろうから。

でも、こんなことをここで書くくらいだから
たまには心情を吐露したい願望があるらしい。

別に何があったわけでもないのだけれど、
今日は雨が強いので、そんな気分になったようです。