読書と生き方、私のプライド

ゴールデンウィークに入り、高校時代から親しくしている友人と会った。
この友人は、高校時代に私に読書の楽しみを教えてくれた人でもある。
当時、部活動に明け暮れて本から遠ざかっていた私に
赤毛のアンシリーズを貸してくれたのだ。

友人は、堅実にコツコツと働いて
そろそろ定年後の生活を考え出している。
あれこれと職業を変え、かつて想像もしなかった占星学という道を進んでいる私とは
似ても似つかぬ生き方をしている人だ。

時たま、自分の人生を憂う時、この友人の生き方と比べていることがある。
あの人のように生きていけば良かったかもしれない・・
と、考えても仕方のない考えにふけることがあるのだ。

しかし、先日会って
自分でも驚くほどにはっとしたことがあった。

本の話をしていた時のこと。
忙しい友人は、それでも図書館には通っていると言う。
ところが、どんな本を読んでいるかと尋ねると

「図書館で見かけた本を読んでいるだけ」

と言う。
これを聞いて、改めて自分の読書の仕方を振り返ってみたのだが・・

私も図書館には足しげく通っている。
最寄りの図書館では、15冊を3週間借りることができる。
常に10冊以上は借りているし、予約も限度ギリギリ15冊をしっかり入れている。

しかし、図書館の棚から本を探すということはほとんどない。
せいぜい料理の本くらい。

読みたい本は次から次へとあふれてくるので
気が付いた時に予約をして用意されたら図書館に行く、の繰り返しだ。

読みたい本が図書館にないことも多く
その場合は、購入して読む。

図書館の棚にある本を読む友人と
読みたい本をひたすら求めて読み漁る私・・

まるで、二人の人生の在り方のようだと思った。

私たちは、同じ高校、同じクラスで
かつては同じ職業を志した。
友人はその通りの道を行き、私は全く別の道を歩くことになった。

友人は、わき目も降らずにその道を進み
私は、その時々にに求める道を模索した。

読書の傾向は、人生に通じる。
私としてはおもしろい気付きだった。

そういう見方をしてみると
友人のように生きれば良かったという気持ちはなぜか薄れる。

私の選んだ道は、決して堅実ではないし賢い選択ではないけれど
好奇心が満たされる道であることは間違いがない。

友人はきっと言うだろう。
「好奇心では食べていけない」

確かに、その通り。
しかし、好奇心を置いてけぼりにする生き方になんの魅力があるのか。
私には考えられない道である。

私は、好奇心を満たす選択をし続けた。
そして、今もその道を邁進中なのだ。

些細な会話から、積年のもやもやを解消できた感があった。

きっと私はこれからも、好奇心を満たす生き方、そして読書をするだろう。
そこには一点の曇りもないプライドがあると気が付いた。