なぜかそうなってしまう、ということ

自分らしく

という言葉がありますが、

自分らしいって・・何?

と思うことはありませんか?

自分探しという言葉もあり

どうやら、自分らしいということがわかりにくいのかもしれません。

それで、自分とは?

を求めて、占星術に興味をもったりする人もいますよね。

私は、「自分」と「自分の人生」というものは別物という

考え方をしていますから

人生についてはいつも考えていますが

自分とは?

というようなことについては、深く考えたことがないようです。

そこを突き詰めていても、何もでてこないような・・

あまり興味がわきません。

他人に対してもそうみたいです。

その人に興味はあまりないのです。

それよりも、その人の人生に大変な興味があります。

何を選択していくのか、どういう生き方をするのか?

ということです。

テレビ番組でも、海外の僻地へ移り住んでいる日本人を訪ねたりする

のがありますけど、大好きです。

どうしてこんな場所へ来ることになったのか、

どんな出会いでどんな選択で・・・

ということを知りたいのですね。

その人がどんな人か?

ということは、まぁ二の次という感じがします。

だから、考えてばかりいてちっとも行動しない人というのは

あまり面白みがないと感じてしまいます。

人生が動いていないように見えるからですね。

誰しも動けない時はあるものですから

タイミングの問題と言うこともありますけどね。

算命学を学んでいると

自分という宿命と、選ぶ環境により回り出す運命

はっきり分かれて見える気がして

それで算命学に魅かれているのかもしれません。

自分(宿命)はあっても、それに合う環境を選択しないと

出てこない運命というものがあります。

羽がはえているのに

地上を歩いているだけでは、

羽を使うことがないようなものです。

むしろ、羽は邪魔な存在になっていたりします。

でも、算命学のおもしろいところは

羽があると飛ぶことになる・・ということです。

宿命にあることは、なぜだかそういうふうになってしまう

ということがあるのです。

どういうわけか高台へ行くことになり

いつの間にか飛んでいた・・羽を使った

というようなこと。

これはなぜそうなるのかは、わからないです。

私の親戚のおばちゃんは、裕福に暮らしていて

いつも困っている人とか事件を起こした人なんかに

「まー、どうしてこんなことになるのかしら〜」

「普通にしていたらこんなことには絶対にならないのに」

と言います。

それを聞くたびに、

何だかそのおばちゃんが薄っぺらい人に思えて仕方ないのです。

違うよ、おばちゃん

人生は、どういうわけだかわからないけど

そうなってしまうってことがあるんだよ

と、心でつぶやいています。

今の生活、今の立ち位置は

あなたの望んだものになっていますか?

なっている

と答えられる人は、意外と少ないと思います。

こんなはずではなかった

想定外だった

人生はそんなものなのではないでしょうか?

俳優さんとかもそういうふうにおっしゃる人、多いですもんね。

でもね・・・

どのタイミングかは人それぞれですけれど

あー、私の人生はこういうことだったんだな

これをすることになっていたんだな

と納得する時はくるものだと思います。

算命学では、それがいつなのかもわかります。

私はちょうど今のようです。

48歳からの10年で、自分の人生に納得していくようです。

実に、算命学に出会ったのが48歳。

自分の人生を理解していくために出会ったのかもしれません。

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